福井に来てそろそろ2ヶ月。家にこもって原稿を書いていると、時々横浜を懐かしく思い出します。こんにちは、ナカキタです。  
考えてみたら、まだ横浜にちゃんと「サヨナラ」を言ってなかったような気がします。言う必要もないのかもしれないけどね。こちらに生活の拠点を移した機会に、これまでのNiki'sとの思い出を、ちょっとつづってみようかと。


第十八回 サヨナラ横浜

   
     



Niki'sキッチンと出合ってから、2年半。  
夫の転勤で横浜へ来てからちょうど一年が過ぎた頃のことだった。  
まぐまぐで何気なく目にとまったNikiのメルマガが、すべての始まりだった。せっかく横浜に来たんだから、なにか、横浜ならではの趣味を持ちたいな。そんなふうに考えていたナカキタにとって、「根岸の米軍住宅でお料理を習う」という企画は、まさにうってつけだった。早速Nikiに連絡を取り、参加申し込みをしたところ、彼女が、すぐご近所に住んでいることがわかった。  
 

あー、思い出した。  

第一回目の教室で、Nikiは、ご近所のよしみで車に乗せて連れて行ってくれるって、約束したんだ。ところが、待てど暮らせど約束の場所にNikiは来なくて。どうしたのかと思ったら、彼女、すっかり忘れて一人で根岸に行ってたの。  
電話越しに平謝られたのが、Nikiとの最初の出会いだった。  

あの頃、Nikiはまだ立ち上げたばかりの教室と、生まれたばかりの赤ちゃんと、自分の仕事探しにかなりテンパッた状態だったんだと思う。事情を知らない私としては、「大丈夫なのかなあ、この教室」なんて不安になったりもしたんだけど。  

その後、仕切直しで最初に参加したのが、忘れもしないリンダのシナボン教室だった。「お子様連れOK、託児します」という最初の頃の設定に甘えて、当時4歳だった息子の公園友達と、大挙してリンダ宅に押しかけたのだった。今にして思えば、暴挙だったとしか言いようがないなぁ。まだ赤ちゃんだったリンダの一人息子、キゲンも突然のギャング軍団にびっくり。  
あーーっ、そうだった。  
そこで、4歳児集団はリンダ家の大切な飾り棚を豪快に引き倒したのだ。陶器のお人形の首が、コロンと取れたのを覚えてる。  

考えてみたら、Nikiとナカキタ、お互いに失敗で始まった出会いだったんだなあ。  

今、思い出すと、本当にいろんなことがあった。いいことばかりじゃない。親しくなるにつれ、困り、悩み、時にぶち切れるNikiを身近で見たりもした。最初のうちは、Nikiも生徒も先生も、参加する人全員が手探りで進めていった教室だった。その中で、ハプニングもたくさん生まれた。一度参加して、それっきりになった生徒さんもいるし、やってみて、「やっぱり向いてない」と去っていった先生もいた。ここには書けないトラブルも、実はいっぱいあった。  

でも、そういうことにも増して、参加する生徒さんたちと先生たちのお料理を通した交流は、たくさんの果実を実らせてくれた。  
生徒さんは少しずつ定着して、リピーターの人も増えてきた。根岸はいつ行っても変わらず、緑の芝と広々としたリビングが私たちを迎えてくれた。ベースには、いつものんびりとした時間が流れていた。私たちはこの時間がずっと続くものだと、なんの疑いもなく信じていた。  

そこへ突然降ってきた、ニューヨーク同時多発テロのニュース。  
あれから、根岸は一変した。根岸での教室も事実上、開催不能に。  
ご主人の異動で横浜を離れる先生、本国に帰る先生もいた。どんなに平和に見えても、ここは軍隊の一部で、ここに住む人々は常に臨戦態勢にいるんだと、思い知らされた気がした。  
いや、それはよくわかっていたはずだ。ゲートをくぐる時、いつも軍服を着て軍用無線を持ったレセプトにIDをチェックされた
し、敷地内で見かける男性は、私服を着ていてもみな軍人らしい体躯をしていた。ここは軍隊の一部なのだ。それでも、私たちが訪れるキッチンだけは、いつまでも、どんなことがあっても、永遠に平和なままだと、あの頃私たちは無邪気に信じていた。  
結局、キッチンだろうがリビングだろうが、戦争が始まれば無関係ではいられない。そんな当たり前のことを、あの日のテロで、あらためて思い知ったのだった。  

あの後、海の向こうでは大きな戦争が始まり、そして終わった。  
刻々と変わる戦況をテレビの画面で見ながら、時々根岸のことを考えた。  
最後に根岸に行ったのは、去年のクリスマス近く。キッチンツールの実演販売を見に行った時だった。ベースの中でも、それぞれの家庭が思い思いにディスプレイを凝らし、クリスマスの訪れを心待ちにしている。そんな平和な風景の裏で、実は戦争に向けて、着々と準備が進められていたのかと思うと、少し悲しくなる。そういえば、緑の芝生の中に点々と続く住宅は、ところどころ空き家になっていたっけ。  
さらに、この米軍住宅自体が、横浜市に返還されるというニュースも聞いた。地元の人たちからの要望という話も聞いた。基地を持つ地元が様々な問題を抱えていることは承知している。外部からたまに遊びに来る人間が口を出すべきことでもない。それでもあえて言うのだけど、基地の中の人と外の人、もっと一緒にキッチンで過ごす時間を持てたら、返還要求も違ったものになったんじゃないかなあ。そんなふうに、思ったりする。  

さて、教室は、根岸から山手、本牧へ場所を移した。そこに至るまでには、Nikiの言い表せないほどの努力があったのだけど、それが実った今、わざわざ言うことではないのかもしれない。移動に伴って、先生も国際色豊かになってきた。これまでアメリカ一辺倒だったメニューも、世界中の料理自慢の主婦たちが教える、エスニック家庭料理という様相になり、バラエティに富んだものとなった。    

紆余曲折あったNikiの教室は、二年が過ぎたあたりでようやく一つの形ができあがったのだ。その最初からずっと参加することができて、とても幸せだったと思う。特に、このエッセーを書かせてもらうようになってからは、料理を習うだけでなく、それぞれの先生のバックボーンや、メニューに込められた気持ち、日本に対する思いなどを、自分なりに感じ取るようになった。  

先生たちは、みな、それぞれ故郷を離れて横浜に来た。ほとんどが、自分の意志ではなく、ご主人の仕事の都合でたまたまここで暮らすようになった普通の家庭の奥さんたちだ。それは仮の住まいに過ぎない。だけど、仮の住まいなら仮の住まいとして、この場所での出会いを大切に、日々を前向きに生きている。そのパワーが、一つひとつのレシピの中からも伺えるように思った。  

ナカキタも転勤族の妻だ。夫とともに3年ごとに各地を転々としながら、こうしてモノを書く仕事を続けている。横浜は、そんな私が人生のほんの三年間を過ごした、仮の住まいだった。それは先生たちと同じ立場だ。だけど、横浜でいろんなものをいただいた。  
ここで出合った先生たちも、やっぱりいろんなものをもらって、次の土地へ行くのかなあ。そうあって欲しいと心から思う。  
ライターという仕事上、いつかここで出合った様々な人々のことを、お料理のレシピに乗せて、紹介する本を書けたらいいと思っている。  

あ、やっぱり、「サヨナラ」は言えないな。じゃあね、また時々寄らせてもらうわ。ではみなさま、再見(なぜか中国語で)!



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エッセイストの紹介
中北久美子 ナカキタクミコ
(プロフィール)
中北久美子 

ナカキタクミコ 名古屋の情報雑誌月刊「KELLY」編集から編集 デスクを経てフリーに。以後、雑誌・広告・社内報・官公庁の出版物・ゴース ト・ ラジオの構成などで企画・取材・執筆を担当。結婚後、神戸、金沢、富山と拠 点を 移しながらその土地の取材物を中心にライターを継続。今後は、女性のライフ スタ イルに関する記事を書いていきたいと考えている。 現在、横浜在住。好きなものは温泉、お散歩、お茶、古い建物、犬、60年代 のR &B、70年代のブリティッシュロック、80年代のスィートレゲエ、「館」のつ く場 所(水族館・博物館etc・・・)、浮世絵、特撮ヒーロー、伝奇小説、南の海、そ して一 人息子とのおしゃべり、などなど。

「よみたい!ネット」に「横浜お散歩マニア」連載中 http://www.yomitai.net/