ニキズキッチン 外国人を中心とした自宅で習う料理教室
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はじめましてタマラです。
私はヴォイヴォディナ(自治国)で生まれ、セルビアとハンガリーの両親のもとで育ちました。1995年私たちの地域はセルビア北部のヴォイヴォディナに併合されました。その結果、私が作る料理はハンガリーを基盤に、セルビアの文化も取り入れています。
ヴォイヴォディナは、ハンガリーとの国境セルビア北部に位置する自治州で、多様な民族と文化が共存する地域です。面積は約21,500平方キロメートルで、セルビアの全土の約1/4を占めています。地理的にはパンノニア平原の一部で、主に平坦で肥沃な土地が広がっており、農業が盛んです。主要な都市にはノヴィ・サドやスボティカなどがあります。
ヴォイヴォディナは、その歴史的な背景から、多様な民族が暮らしています。セルビア人、ハンガリー人、スロバキア人、クロアチア人、ルーマニア人、ロマ人、ウクライナ人などが共存し、多言語・多文化が特徴です。また、宗教面でも、正教会、カトリック教会、プロテスタントなど、さまざまな宗派が存在しています。
この地域は、美しい自然や歴史的な建築物、文化的な祭りや伝統も豊かで、観光にも魅力的なエリアとなっています。ヴォイヴォディナの多様性は、地域の料理や芸術、音楽などにも影響を与えています。
この地域は長い歴史を通じて多様な文化の影響を受けており、料理も多彩でダイナミックです。男性は農作物の栽培や家畜の世話、狩猟などを担当し、女性はパンやパスタ作り、冬の食事準備、料理などを行っていました。祖父は豚と鶏の飼育場を持っており、私たちは新鮮な卵と自家製ハムを楽しんでいました。祖母は野菜畑と果樹園を持っており、家族用に果物ジュース、ジャム、ラキヤやパーリンカなどを作っていました。自家製の飲み物は最高だとされ、贈り物としても重宝されていました。
幸運にも、私は祖父母の暮らしを体験できました。子供時代に彼らと一緒に過ごし、見て学び、料理も手伝う機会がありました。もう一組の祖父母は都会に住んでいましたが、そこで工芸や裁縫を好きになりました。家の装飾は伝統的なスタイルで行われ、日本の家も子供の頃の家のように感じられます。私は、こうした貴重な経験を通じて得た知識やレシピを日本の人々と共有し、地元の文化や伝説を伝えたいと思っています。
※ヴォイヴォディナは、現在はセルビアの一部ですが、歴史的にはハンガリーと深い関係がありました。ハプスブルク帝国の時代やオーストリア=ハンガリー帝国の時代には、ハンガリー王国の一部でした。しかし、第一次世界大戦後のトリアノン条約により、ヴォイヴォディナはセルビア(当時のユーゴスラビア王国)に割譲されました。そのため、この地域はかつてハンガリーの一部であったことがあります。
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